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2012-01-01から1年間の記事一覧

バルガス・リョサ 緑の家(岩波文庫)

修道中の白人尼がスペイン軍のボートに乗って、インディオの少女を荒縄でぐるぐる巻きにして誘拐する。怯えきった猿のように純真な少女を尼僧院に監禁して「野生動物にそっくりのあなたを暖かい家庭の一員として迎え、名前をつけ、神様のおられることも教え…

グレアム・グリーン 「事件の核心」(ハヤカワepi文庫)

p27 市民を疑うことを仕事とする探偵スコービーは、それにもかかわらず、晴雨計のほかの針が全部「暴風雨」のほうへ回ったずっと後まで「晴天」を指している、遅れがちな針のようだった。疑いは彼にとって真実の「詩」であったのだが、彼はよく女にモテる男…

安部公房 「壁 S・カルマ氏の犯罪」(新潮文庫)

主人公カルマ(宿業)氏は自分の名前をどこかに落としてしまい、もはや誰でもなくなってしまった。その代わりに(?)カルマ氏は胸の陰圧で世界のなにもかもを、目に見えたもののすべてを吸い取る「犯罪的暴力性」を持った人になってしまう。 そのカルマ氏の…

安部公房 「砂の女」(新潮社)

p12-13 砂粒の大きさは1/8mmを中心に分布している。岩石を削る水にしても空気にしても、すべて流れは乱流を引き起こすが、その乱流の最小波長が砂漠の砂の直径にほぼ等しいと言われている。この特性によって、とくに砂だけが土の中なら選ばれて流れと直角の…

絓(すが) 秀実  「1968年」2(ちくま新書)

この本にはいくつか“後付け”の理屈が含まれているので、そこが気になると著者・絓氏の人間性さえ疑う読者もいるにちがいない。ちなみにウィキペディアによると、柄谷行人は絓氏のことを「いいことをしても、人の嫌がる形でしかしない人なので、つねに誤解さ…

絓(すが) 秀実  「1968年」1(ちくま新書)

一九六八年は私が大学生になった年だ。田舎から出てきたばかりの私には何もわからなかったが、一九六八年は、「著者まえがき」に言うように、学生を中心とした「世界的な動乱」の年であったらしい。東大をはじめとする多くの有名大学のバリケード封鎖は一九…

ペール・ラーゲルクヴィスト 「巫女」(岩波文庫)

磔刑の場に無理やり歩かされるイエスらしい男が冒頭に登場するので、キリスト「教」を扱った小説と思って読み始めたら、そうではなかった。葬儀の式次第を立派にしてきただけの教会や、地上の帝国主義と手を携える人身売買のような「布教」の実態や、高値の…

アントニオ・タブッキ 「イタリア広場」(白水社)

ガリバルディによるイタリア統一から、ムッソリーニによるファッショの支配をへて現代イタリアにいたるまでの、「社会の記憶」が寓話に似たかたちで語られる。良くも悪くもカトリックのドグマに、一五○○年も支配された前近代イタリアだが、作者はその呪われ…

上野千鶴子 「家父長制と資本制」 2/2(岩波現代文庫)

p75 家族を支配―被支配を含む再生産関係とみなして分析するむずかしさは、家族が一種のブラックボックスであり、かつ歴史貫通的に「自然」なものと見なされてきたことにある。とりわけ近代産業社会が、家族を競争社会からの避難所、私的な砦と見なすことに…

上野千鶴子 「家父長制と資本制」 1/2(岩波現代文庫)

p17-9 啓蒙主義的フェミニストにとって問題となるのは、人々の「遅れた意識」だけである。この「遅れた意識」を変えるのは啓蒙の力である。 啓蒙主義的フェミニストにとって真理はつねに単純である。「男女平等」という単純きわまりない真理を受け入れるこ…

池内 紀 「ことばの哲学」(青土社)

p130 英語でもドイツ語でも、熟語、慣用句は、ある種の文章の中で前置詞が特定の機能を発揮し、意味のほかに特定の役割を帯びてくる。つまり特定の「形態」を獲得し、おのずと語や文は「意味と意味形態の二重性」を帯びてくる。 ひとたび慣用句が特定の形態…

夏目漱石 「文学論」上(岩波文庫)

p24-27 ロンドン留学から帰国し東大講師となった後、『猫』、『坊ちゃん』、『草枕』などで文名を上げても、漱石は鬱々と暗かった。『文学論』の『序』は怒りに満ちて悲痛である。 倫敦に住み暮らしたる二年はもっとも不愉快の二年なり。余は英国紳士の間に…

夏目漱石 「硝子戸の中」(岩波文庫)

p18 「秋風の聞えぬ土地に埋めてやりぬ」 漱石の飼っていた犬・ヘクトーの墓碑だ。ヘクトーはもちろんホメロスの『イーリアス』中、アキレスと戦って無残に殺されたトロイの英雄である。犬の墓碑銘をどのようにするかは、犬を飼わない人には理解の外にある…

東 浩紀 「動物化するポストモダン」5/5(講談社)

p130-1 オタクたちのセクシュアリティは保守的であるといわれる。動物化の流れを念頭に置けば、一見奇異な感じを受ける彼らの性的保守性も、説明はそれほど難しくないのではないか。 動物の消えやすい欲求と、人間のしつこい欲望が異なるように、動物の性器…

東 浩紀 「動物化するポストモダン」4/5(講談社)

解離的な人間 p114 二○○○年発売の『Air』という有名なノベルゲームがある。両作とも販売上は成人向けゲームとされているものの、ゲーム本体部分にはポルノ的なイラストをほとんど含まない「秀作」である。 実質的なストーリーが展開する後半部だけでも、プ…

東 浩紀 「動物化するポストモダン」3/5(講談社)

p56 大きな物語の失調とその補填というメカニズムはもう少し広い視野の中にも見ることができる。五○年代までの世界では近代の文化的論理が有力であった。そこでは大きな物語がたえず生産され、教育されていた。その一つの現われが学生の左翼運動だったわけ…

東 浩紀 「動物化するポストモダン」2/5(講談社)

p28 ポストモダンとは、文字通り、「近代の後に来るものを意味する。しかし日本は、明治以降も(近代哲学的な意味では)十分に近代化されていない。それはいままで(近代哲学的な意味では)欠点とされてきた。 しかし世界史の段階が近代からポストモダンへ…

東 浩紀 「動物化するポストモダン」1/5(講談社)

オタクたちの擬似日本 p15 いまから三、四○年前、日米欧などの高度資本主義社会では、「文化とは何か」を決める根本的な条件が変わった。それにしたがって文化ジャンルの中の勢力地図が変貌した。 ロックミュージック、SFX映画、ポップアートが台頭し、…

新聞から 「横尾忠則の書評コラム」

三月二五日(日)の朝日新聞「読書」欄に、著名なイラストレーター横尾忠則氏が、『長寿と性格』(H・S・フリードマン、L・R・マーティン著)という本を批評したコラムがあった。朝日の整理記者は、『ジョギングよりも勤勉性』という見出しをつけていた…

國分功一郎 「暇と退屈の倫理学」7/7(朝日出版社)

p322-3 哺乳類の中で人間はかなり早産である。そして出生後に、非常に不安定な生を送る。「不安定」とはここで、環世界が日に日に変化していくことを意味する。形の認識、自他の区別、言語の獲得など、人間の発達はめまぐるしい環世界の変化、新しい環世界…

國分功一郎 「暇と退屈の倫理学」6/7(朝日出版社)

p292-3 盲導犬を一人前に育て上げることの難しさはよく知られている。訓練を受けた盲導犬がすべて立派な盲導犬としての役割を果たせるようになるわけではない。なぜ難しいのか? それは、犬が生きる環世界のなかに、犬の利益になるシグナルではなく、盲人の…

國分功一郎 「暇と退屈の倫理学」5/7(朝日出版社)

動物と人間の「環世界」 p260-2 すべての生物はそれぞれの「環世界」を生きている。環世界とはその生物種にとっては必要かつ十分な要素が備わった、その生物種だけの宇宙のことである。たとえばダニの環世界は、自分が寄生する哺乳動物の酪酸のにおい、摂氏…

國分功一郎 「暇と退屈の倫理学」4/7(朝日出版社)

暇と退屈の経済論・疎外論 p135 非正規雇用の拡大が大きな問題になっている。だが非正規雇用は、単に誰かがズルしているから生み出されたものではない。いかに高品質のケータイでもクルマでも、同じ型である限りすぐに売れなくなるという、現代社会の消費(…

國分功一郎 「暇と退屈の倫理学」3/7(朝日出版社)

定住生活と退屈の関係 p79 一万年前に中緯度帯で定住生活が始まるまで、人類はそのほとんどの時間を遊動生活によって過ごしてきた。だが氷河期が終わった一万年前になると、温暖化が進み、中緯度帯が森林化して、遊動生活の中心になる狩猟が困難になった。 …

國分功一郎 「暇と退屈の倫理学」2/7(朝日出版社)

暇と退屈の原理論(パスカルと退屈) p33 パスカルは相当な皮肉屋である。彼には世間をバカにしているところがある。そのパスカルは退屈をこう考えている。 「人間の不幸などというものは、どれも人間が部屋にじっとしていられないがために起こる。部屋でじ…

國分功一郎 「暇と退屈の倫理学」1/7(朝日出版社)

著者は達意の文章を書く37歳の若い哲学者である。ちょうど私たちの子供世代だが、こんなスピノザ学者がいるとはまったく知らなかった。この本には著者が大学院生だったころの「暇と退屈の苦しみ」が本音で書かれてある。あとがきに書かれているように「斜に…

金原ひとみ 「トリップトラップ」(角川書店)

辻原 登が毎日新聞「二○一○年の三冊」に挙げていた短篇集。作者のデビュー作で芥川賞受賞作でもある「蛇にピアス」もそうらしいが、病的な男性依存症があっけらかんと書かれていて、読み始めたときは、いまどき冗談かアイロニーなんだろうと思った。 女性に…

辻原 登 「闇の奥」(文芸春秋)

伝説の小人族という、現生人類の進化上で切り離されかけたネアンデルタール系の人々を、ボルネオから雲南、チベットという闇の奥深くに探しまわる冒険譚である。辻原は、人の闇のいちばんディープなところに入っていって、そこを「新石器人の謎」ではなくエ…

オルハン・パムク 「白い城」(藤原書店)

トルコに、西欧の「知」が生まれようとするときの物語である。 p69 十七世紀、その細密画はわれわれを満足されるには程遠い代物だった。「まったくもって昔のままだ」と師は言った。「万物は立体的に捉えられ、真の影を持つべきであるのに。そこらの蟻でさ…

岩井克人 「二十一世紀の資本主義論」(ちくま学芸文庫) 3

p63−6 基軸通貨とは、すべての国のすべての商品と交換できるまさに「グローバル市場経済の貨幣」である。ドルが基軸通貨であり続けるのも、「ドルは誰もがそれを未来永劫にわたって受け入れてくれる」という脆弱な「予想の無限の連鎖」があるからにほかなら…