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ジョナサン・スイフト 『ガリヴァー旅行記』(岩波文庫)2/2

 p220 深い思索癖の男とお気楽な女だけが住むラピュータ島にて
 「飛んでいる島」ラピュータ島の上層階級はすべて深い思索癖がある。口と耳を適当に外部の者に叩いてもらわないかぎり、ものを言うことも他人のいっている言葉に耳を傾けることもできない。上層階級主人の外出には必ずこの叩き役がお供をし、時と場合によっては主人の目の上をそうっと叩くこともある。そうしないと、いつも深い瞑想にふけっているので、深い穴があれば落ちてしまい、柱があれば頭をぶつけ、街頭を歩けば他人をぶっ飛ばすか、他人からぶっ飛ばされてドブにはまる危険がつきものだからである。
 p226
 彼らはあらゆるものを表現するのに数学と音楽の理論を使うが、実学はまるでダメである。洋服の寸法を採るのに象限儀とコンパスを用いて精密に測るが、計算のとき桁を一つ間違えたりする。家の建て方もひどく壁は傾き、部屋の隅は直角でない。実用幾何学を下賎で低俗なものと馬鹿にしているからである。彼らはそういったものを作るときいろんな指図をするが、それが高邁すぎて職人の頭では理解できないのだ。それに数学と音楽を除いては、あらゆる問題についてその理解が鈍くて無茶苦茶なことも他に類を見ない。
 p229
 こんな男たちに対して、島の女たちはそれこそ陽気そのものである。例の叩き役を近づけさえしなければ、亭主はいつも思索癖に取り付かれているので、女はその見ている前で恋人を相手にどんなに大胆な痴態でも大っぴらにやらかすことができるのだ。
 そんな遠い国の話ではなくて、イギリスの話を書いていると思われるかもしれない。わたしガリヴァーは、女というものの大胆さはなにも特定の風土や国民に限られていないということを言いたいだけである。男というもののつまらない思索癖も同様である。
 p247 バルニバービ島にて
 バルニバービ渡島記』はろくでもない企画研究に大真面目に取り組むイギリス王立学士院に対するスイフトの悪罵である。胡瓜から太陽光線を取り出し、ビンで保存して天候不順な季節の空気を暖める、人糞をもとの食料に還元する、氷に熱を加え生石灰にして火薬を作る、盲人が手探りと嗅覚で色を識別する、蜘蛛の糸を織物にする、下痢を治すため体内に肛門から空気を吸引する、または口から空気を注入する・・スイフトがからかったこうした実験は、生理学がまったく芽生えていなかった当時、実際に行われていたらしい。
 バルニバービ島ではあらゆる単語を完全に廃止するという研究もあった。簡潔という点でも健康という点からも一大福音として早急に実施が要請されていた。われわれが一語でも発すれば、肺はそれだけ消耗し積もり積もって生命を縮めるからである。そこで、単語とは「物」の名称なのだから、話さなければならないときにはそのための「物」を身辺に携行するのがいいということになっていた。学者が所用で出かけるとき、「物」を持たされる召使いの苦労は大変なものであった。
 p262
 バルニバービ島でガリヴァーが聞いたという、いがみあう政治家を融和させる方法。両陣営から指導者格のものを百人ずつ選び出し、ほぼ同じような形の頭を持つものを二人ずつ組み合わせ、それぞれの後頭部をのこぎりで切断する。切断された後頭部を反対側の人間と交換して緻密につなぎ合わせる。そうすれば互いの頭蓋骨に納まった二つの脳髄が当面の事態について討論し、あっという間に了解点に達するであろう。
 p263
 バルニバービ島の課税の基準は、男も女も美貌の程度や異性にもてた回数である。額の決定は自己申告による。きれいだとかもてるとか言えば多く課税されるが、そのぶん本人の満足は大きい。男の正義、知恵、学問、女の貞淑、純潔などには課税されない。自己申告は嘘に決まっているからである。
 p274 グラブダブドリップ島にて
 グラブダブドリップの族長がデカルトの亡霊を魔法で呼び出してくれた。呼び出されたデカルトの亡霊は、天体現象を説明しようとした自分の渦巻説が退けられたこと知っていた。そして今日の学者たちが熱心に支持している引力説に対しても、同じ運命が待ち受けていることを予言した。スイフトは科学理論についても、当時達しえた観測技術と実験技術の限界を示しているにすぎないとして、深い疑いを隠さない。じじつ今日の常識である「地動説」も、宇宙に重力の中心というものがない以上、地球が太陽の周囲を回転しているというのは太陽系近傍だけでの真実であり、観測点をはるか遠方に置けば真実ではないことが証明されている。
 p275
 ここから数ページは、スイフトの、漱石と相通じる、社会支配層への嫌悪感が辛辣にあらわれている。
 私は由緒ある家柄というものを常々賛美してきた人間なので、有名な王様たちを数代前まで遡って呼び出してもらいたいと、族長に所望した。ところが期待は見事に外れてしまった。燦然たる王冠をかぶった王様が整然と並んで現れるかと思いきや、ある王家では、なんとアコーディオン引きが二名、粋な廷臣が三名、そして一名のイタリア人司祭が現れたのだ。他の王家では理髪師が一名、修道院長が一名、枢機卿が二名現れた。・・・・。
 特定の家系をその先祖まで遡って突き止めたときには、我ながら愉快になった。そういった立派な家系では、立派な人物の合間をぬってしばしば近習や下僕や従者や御者やばくち打ちやアコーディオン引きや勝負師や親方やスリなどが現れたからである。
 p316 フウイヌム国にて
 フウイヌムはこの世で最も上品で几帳面で礼儀正しい馬人間である。それに対して、ガリバーがこれまでに見たもっとも醜悪な動物がこのフウイヌムに使役されるヤフーである。ヤフーは、弁護士、スリ、大佐、道化者、貴族、ばくち打ち、政治家、放蕩者、医者、贈賄者、訴訟代理人たちのことである。スイフトが醜さと病気の塊みたいな奴として憎むイギリスの人間どもである。「ヤフー」とは嫌悪をあらわす二つの間投詞の合成語らしい。
 p359
 私・ガリヴァー国務大臣について次のように説明した。ヤフーがもし真実を語るとすれば、そのときはきまって相手にそれを嘘だと思わせようという魂胆からであり、嘘を語るときにはきまって相手にそれを真実だと受け取ってもらう策略からである。ヤフーから散々陰口を言われた人間は、まず昇進すると考えて間違いはない。彼らがしきりに誉めそやし始めたら、その誉めそやされた人間はその日から没落の一歩を踏み出したと知るべきである。
 p362
 わが国の貴族の子供は怠け放題、贅沢三昧に育てられ、淫らな女たち相手の遊びの味を覚えて忌まわしい病気を背負い込む。だから家系が三代以上続くということはめったにない。ただし細君が血統を改良し維持する目的で、健康な父親を隣人や家の使用人の間にうまく探し当てたら、話は別である。
 弱々しい体つき、土色の血色――こういったものが貴族の血統を示す真の特色である。もし身分が高いくせに元気な顔つきをしているものがおれば、世間の人々はあの男の実の父親は馬丁か御者に違いないと一も二もなく決めてしまうありさまだ。