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ユヴァル・ノア・ハラリ 『ホモ・デウス』(河出書房新社)1/2

 世界的ベストセラーになった『サピエンス全史』の続編。前作では、われわれホモ・サピエンスが自分を取り巻く世界の頂点に立ったいきさつを、わずか上下2巻500ページのなかに息づまるようなロジックをもって描き切っていた。きっかけとなったのは、進化による偶然の作用でネアンデルタール人の言語用脳内配線がわずかに変わり、世界中の過去・現在・未来を、ときに虚構を交えながら自在に物語れるようになったことだった。

 この前作は意味深長な言葉で終わっていた。「ひょっとすると、私たちが直面している真の疑問は、「私たちは何になりたいのか」ではなく、「私たちは何を望みたいのか」かもしれない。この疑問に思わず頭をかかえない人は、おそらくまだ、それについて十分考えていないのだろう」と。本書『ホモ・デウス』はストレートにこの疑問に答えようとしたものだ。

 現代化学・生物学・生理学・医学によってホモ・デウス=神にも比せられるべき力をそなえるようになったヒトだが、私たちの脳内配線は依然として3万5千年前に起きたわずかな変異をそのまま引き継いでいる。

 上巻p218

 新しい宗教「人間至上主義」が生まれているが、
 それははたしてサピエンスを幸福に導き得るか

 脳内配線が変わらないとすれば、言語による虚構の構築は今後のサピエンスにも不可欠だ。お金や国家や人々の協力などについて、広く受け入れられている物語がなければ、複雑な人間社会は一つとして機能しえない。人が定めた同一のルールを誰もが信じていないかぎりサッカーはできないし、そのルールに似通った物語なしでは市場や法廷の恩恵を受けることはできない。

 だが、物語は道具に過ぎない。だから物語を「私たちは何を望みたいのか」の基準や目標にするべきではない。私たちは物語がただの虚構であることを忘れたら、企業に莫大な収益をもたらすために多数の社員を死なせてしまうし、国益を守るために戦争をはじめてしまう。

 下巻に述べるような理由によって、私たちは21世紀にはこれまでのどんな時代にも見られなかったほど強力な虚構と全体主義的な宗教を生み出すだろう。そうした宗教はバイオテクノロジーとコンピュータアルゴリズムの助けを借り、私たちの生活を絶え間なく支配するだけでなく、体や心や脳を形作ったり、天国や地獄もそなわったバーチャル世界をそっくり創造することもできるようになるだろう。だから、虚構と現実、宗教と科学を区別するのはいよいよ難しくなるが、その能力はかつてないほど重要になる。

 下巻8、34-6

 近代以前の人間は、力を放棄するのと引き換えに、自分の人生が意味を獲得できると信じていた。戦場での勇敢さや、王を支持するかどうかや、隣人と不倫をするかどうかは本当に重要だった。戦争や疫病や干ばつといった、なにか恐ろしいことが起こったら、人々は次のように言って自分を慰めた。

 「私たちはみな、神か自然の摂理の手になるドラマの中で役を演じている。脚本がどうなっているかは関知できないが、万事が何か目的があって起こるのは確実だ。この恐ろしい戦争や疫病や干ばつでさえ、もっと壮大な枠組みの中で果たすべき役割がある。そのうえ脚本は、最終的にはすばらしいものに違いないので、話は有意義な結末を迎えると思って間違いない。だからなにもかも結局は最善の結果につながる、――仮に、今ここではなくても、あの世では」

 現代の文化は、宇宙の構想をこのように信じることを拒む。私たちは、どんな壮大なドラマの役者でもない。人生には脚本もなければ、脚本家や監督も演出家もいないし、彼らが主張しようとする意味もない。宇宙は盲目で目的のない単なるプロセスであり、響きと怒りに満ちているがそれらに何ひとつ意味はない。
 人間は壮大なドラマを演じているわけではないので、よい結末も悪い結末もない。いや、結末などまったくない。人間にまったく関心のない宇宙のできごとが、後から後から、ただ起きるだけだ。

 現代の、意味も、神や自然の法もない生活への対応策は、自分の子供を孤児院に捨てるという、個人としてはどうしようもない人格破綻者であるジャン・ジャック・ルソーが用意してくれた。その名も人間至上主義という、この数世紀に間に世界を征服した革命的な宗教がそれである。

 ルソーは『エミール』のなかで、「自分自身の欲求や感情は、自分の心の奥底に何物も消し去ることのできない文字で、自然によって書き込まれている。自分が何をしたいのか、良いと感じていることが本当に良いことなのか、悪いと感じていることが本当に悪いことなのかに関しては、自分自身の意見を聞きさえすればよいのだ」と書いている。

 この宗教はキリスト教イスラム教で神が、仏教と道教で自然の摂理が、演じた役割を人間が果たすものと考える。人間至上主義によれば、人間は内なる経験から、自分の人生の意味だけでなく森羅万象の意味も引き出さなくてはならないという。意味のない世界のために意味を見いだせ――これこそ人間至上主義が私たちに与えた最も重要な戒律なのだ。
 したがって、この近代以降の中心的宗教革命は、神への信心を失うことではなく、人間性への信心を獲得することだった。それには何世紀にもわたって懸命に努力を重ねなければならなかった。思想家は哲学や経済学の論説を書き、科学者は観測事実を精密な方程式にまとめ、芸術家は詩を作り交響曲を作曲し、政治家は取り決めをまとめ、彼らの知力を総がかりにして、近代以降の人民に数世紀をかけて、森羅万象には意味があると確信させることに成功した。