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村上春樹 『街とその不確かな壁』 新潮社

今までの村上春樹の中で一番難解な小説。ではあるが、第三部を読み終えると、僕の魂の中で一番ストンと落ち着きどころが納得できた作品。

 第三部になって主人公は自分の分身である「影」が実体化した「イエローサブマリンの少年」と邂逅し、少年が夢読みにとても習熟した青年に成長していることを知る。そして少年から「これからは二人は役割を交替し、主人公は普通の人間に戻って不思議な「街」を去ることを勧められる。主人公は少年の勧めを受け入れ、自分が影を持たない奇妙な人間として大切にまもってきた「街」のすべての情景を背後に振り捨て、「街」を出ていくことを決心することでエンディングとなる。

「あとがき」によれば、村上は36歳のとき『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』を書いて、一連の<不思議な街>ものにしかるべき決着をつけた気持ちになっていた。しかしその後、作家としての経験を積み、齢を重ねるにつれて、まだ描き足りない部分があるという思いが少しずつ重なり、喉に魚の小骨が刺さったような気持ちになってきていたらしい。

 同じあとがきの中で村上は、アルゼンチンの作家ホルヘ・ルイス・ボルヘスが「一人の作家が、一生のうちに真摯に語ることができる物語は、基本的に数が限られている。我々はその限られた数のモティーフを、手を変え品を変え、様々なかたちに書き換えていくだけなのだ」と言っていると紹介する。要するに、真実というのは一つの定まった静止のなかにではなく、不断の移行=移動する相の中にある、僕もそのように考えているのだが・・」と村上は本作を描いた動機を結んでいる。

 

 第二部に入っている(感傷的な、しかし)切実なセンテンス。

「お墓に入っているのは私と妻と子供の三人の遺骨に過ぎません。骨と魂はまずつながりのないものです。ええ、骨は骨、魂は魂です。物質と物質にあらざるもの。わたくしはやはり生きているときと同じようにひとりぼっちなのです。妻も子供もどこにも見当たりません。そしてやがてはこの私の魂も、(三年とか七年とか十三年とか)しかるべき時間がたてばどこかに消えて、無と消えることでしょう。魂というのはあくまで過渡的な状態に過ぎませんが、無とはまさしく永遠のものです。」

「孤独とはまことに厳しくつらいものです。生きておっても死んでしまっても、その身を削る厳しさ、つらさには何ら変わりありません。しかしそれでもわたくしには、かつて誰かを心から愛したという、強く鮮やかな記憶が残っております。その感触は両の手のひらにしっかり染みついて残っております。そしてその温かみがあるとないとでは、死後の魂のありかたにも大きな違いが出てくるのです。」