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司馬遼太郎 『翔ぶが如く』3 文春文庫

 西郷隆盛征韓論の基底には、ロシアの南下による北海道侵略への恐れがあった。ロシアは江戸時代の最末期にしばしば北海道周辺に現れ、艦載砲を撃ったりして威嚇している。     

 明治維新がなってからは、ロシアは西ヨーロッパでオーストリア、ドイツ、フランスなどとの小競合い、外交交渉が忙しくなり、その分シベリア以東に目を向ける余裕がなくなってきたが、西部戦線に目鼻がつけば必ず再び日本に目を向けるに違いない。

 日本はそれを待って慌てて戦争準備をしても絶対に間に合わず、北海道の北部、東部は必ずロシアに蹂躙されるだろう。それを防ぐには中国と共同で中国東北部満州に拠点を築き、備えを万全にしておかねばならない。そしてそのためには、中国東北部満州に物資を早急に運び、あわせて同地で工業製品を少しでも製造できるようにしておかねばならない。朝鮮にはそのために軍人・民間人が短時間で同地区に入れるように、道路整備・土地造成の協力を仰がなくてはならない。

 「征韓論」は日中韓の3国共同でロシアの南下を防ごうという対ロシア戦略であって決して朝鮮征服論ではないという虫の良すぎる話だった。そんな話を中韓の誰がまともに検討するだろう。

 これに対して、大久保利通三条実美岩倉具視らの反征韓論は、周知のごとく、いまの日本は国内整備が最優先であり、朝鮮半島までのこのこ出かけて行って戦争の準備をする余裕はまったくないという一事に尽きた。その前にやらねばならないことは山ほどあるではないか。   

 たとえば内務省を設置し、国内警察を整えて治安を強固にすること。殖産興業を進め、英仏などからの借款低減を図ること、欧米との人事交流・文化交流をさらに盛んにし、技術輸入によって生産力の向上をさらに進めること。・・・等々きわめてまっとうな常識論だった。相手が西郷隆盛という超巨人でなければ、およそ議論にもならなかったろう。