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ドナルド・キーン 『日本の文学』(吉田健一訳) 中公文庫

第四章  日本の小説 源氏物語(p102-7)

 一九二五年にウェーリの訳による源氏物語の第一巻が出たとき、欧米の批評家たちはその規模が雄大なのと、そこに窺われるそれまで想像もしなかった世界に圧倒された。そして彼らにもっとなじみがある文学で、これと比較できる作品を血眼になって探した。いわく『ドン・キホーテ』『デカメロン』『ガルガンチュア物語』『アーサー王物語』……要するに『源氏物語』は欧米で書かれた大概の小説の名作に擬せられたのだった。

 しかしどう検討しても『源氏物語』はこれらと違っていた。『源氏物語」は、その構想が大規模であるのと手法がしっかりしている点で、確かに日本の文学の中で異色の作品であるが、これは同時に、明らかに欧米の批評家にはなじみが薄い純粋な日本の伝統の産物だったのである。  

 『源氏物語』は刊行以後七、八百年にもわたって、天皇やもろもろの貴族、和歌や漢詩儒学国学など日本ならではの学者・文学者に影響を及ぼし続けた。今現在においても、もっともすぐれた小説家と言えるかもしれない谷崎潤一郎も、この影響を免れてはいない。 

 『源氏物語』は中に多くの滑稽味もあり、そうした点でも十分に魅力があるものであるが、全体の調子は暗い。これは主に、そういう時間の経過に対して人間が無力であることが強調されているためである。それはワットーの絵のあるものに似ていて、そこに描かれている女とその恋人の美しい情景の背後に、我々は何か壊れやすくて悲痛なものを感じないではいられない。

 この哀調は『源氏物語』ではあまりに顕著なので、『源氏物語』の読後感を一言で述べよといわれると、おそらく大半の人はこの哀調のことを挙げるはずである。