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結城昌治 『軍旗はためく下に』 中公文庫

 1940年、米軍の圧倒的な戦力の前でボロボロ、ちぎれちぎれになっていたフィリピン戦線での日本軍旗。しかしその旗の下で、東条英機が作った「戦陣訓」だけは当初の苛烈さを失っていなかった。いやますます、上層部の作戦の愚劣と暴行の数々には甘く、末端兵士のまずい挙動の端々を問う軍法会議の判決の厳しさが、本書を読む人の心を青黒く染めるようになっていく。

 その事例が五つの篇になって淡々と記されている。例えば第一話・敵前逃亡。あまり出来の良くない伍長が占領地で女ができて、そこに通っていた時の帰路、敵に遭遇し負傷して捕虜になり、脱走して三日後自隊に帰ったが、敵に走ったとみなされて死刑になり、即執行される。

 また第五話。粗暴で嗜虐的な小隊長がいた。食糧事情が極端に悪くなり、兵はすべて自作の農園で取れた野菜で飢えをしのいでいた。しかし空腹のあまり、小隊長の畑の芋を盗み食いする兵がいた。すると、フィリピンの炎天下、小隊長は罰則としてその兵をドラム缶の中に入れてふたを閉め、数時間放置。被害者は全身火ぶくれになって死んだ。判決では小隊長の暴虐は無視され、逆にすきを見てこの小隊長を殺した兵士三人は情状酌量の余地なく死刑。こんな話が240頁にわたって続く。

 中に一つ、面白いと言っては語弊のある残酷話もあった。毎日殴られどおしの兵が、ある日すきを見てその上官を銃の台尻で殴り殺し、野豚の肉だとして焼肉にして部隊に持ち帰り、兵隊全員で大歓迎された。この場合上官を殺して食ったことは誰にも漏れていないから、法廷は開かれなかった。大岡昇平も『野火』の中で暗示しているが、極限状況の中で、こういうことは絶対にあったはずだと、僕は思っている。